新幹線が開業するまでは日本最大の峠の路線であり、列車はEF63機関車の重連運転による助けを借りて峠を上り下りしました。何せ66.7パーミル(1000m先で66.7m上昇する)の斜度のために、下り列車は横川で、上り列車は軽井沢で、それぞれ上野寄りにEF63機関車2両を連結しました。そして、押し上げたり、抑制ブレーキで速度を緩和したりしていました。さらにその昔は、歯車を噛み合わせて登る「アプト式」の路線でした。
出発当日はあいにくの雨。いったい誰が雨男、まさか3人そろって・・・ということではないでしょうが、どうしようもありません。
そこで、予定変更です。本来は「アプトの道」という鉄道のあとを整備した道からさらに碓氷峠を越えて軽井沢まで歩くはずだったのですが、バスで軽井沢を目指しました。そして、中軽井沢にある「湯川キャンプ場」へ。
天気には勝てませんので、この日は早々にテント設営です。
この日の夕食は、・・・。あまり食べることにはこだわらない簡易食です。もうちょっと食い気を出せばいいのに。
明日の天気回復を祈ります。
2日目は何とか天気回復。そこで軽井沢から横川に峠越えです。
有名な煉瓦でできたアーチ橋。
かつての熊ノ平信号場のあと。
そして、文化村へ。写真があまりありません。それほど夢中だったということか。
最後の夜は何と舎営、旅館泊でのんびり。何と贅沢なことか。一人前に自分で稼ぐようになってからにしなさい。ということで、親御さんに感謝しなさい。
天気には祟られましたが、臨機応変に行動変更したところは立派です。これからも頑張ってください。また、計画変更がうまくできるためには、事前の情報収集が必要です。慌てないためにもいろいろなシミュレーションを立てておきましょう。お疲れ様でした。
これであとは隼章まっしぐらか。皆様乞うご期待。